遊園地PNEで知られるヘイスティングス・パークに日系カナダ人の常設記念碑完成
約8,000人が拘束された場所に刻む、ひとりひとりの名前

PNEの家畜舎を出たところに建てられた記念碑 Photo:Osanpo News Canada!
バンクーバーのヘイスティングス・パークにあるPNE(Pacific National Exhibition)で10月27日、第二次世界大戦中にこの場所へ収容された日系カナダ人の名前を刻む常設の記念碑が完成し、公開された。
この記念碑は、1942年にこの場所で拘束された日系カナダ人、約8000人の記憶を後世に伝え、強制収容によって生活や人生を大きく変えられた人々を追悼することが目的だ。
記念碑は、Japanese Canadian Hastings Park Interpretive Centre Society(日系カナダ人ヘイスティングス・パーク情報センター協会)が、Japanese Canadian Legacies Society(日系カナダ人歴史遺産協会)およびPNEと協力により制作した。
1942年、8,000人以上の日系カナダ人がヘイスティングス・パークに拘束された
第二次世界大戦中、カナダ政府は太平洋岸に暮らしていた日系カナダ人を自宅や地域社会から強制的に立ち退かせた。1942年までに、ブリティッシュ・コロンビア州沿岸部から約2万2,000人の日系カナダ人が移動を強いられ、収容所や労働キャンプなどへ送られた。
バンクーバー地域では、現在は遊園地PNEで知られるこの場所が、州内陸部の収容施設やカナダ各地の労働キャンプなどへ移送される前の拘束場所として使用された。
現在もヘイスティングス・パークには、当時使用された4つの建物――家畜舎、フォーラム、ローラーランド、ガーデン・オーディトリアム――が残っている。これらは、日系カナダ人の抑留の歴史を伝える重要な文化遺産となっている。
今回の記念碑は、当時、日系人のベッドが並べられていた家畜舎の外側に設置された。
約8,000人のうち、確認のできた6,000人の名前を刻む記念碑
記念碑には、当時ヘイスティングス・パークに拘束された約8,000人の日系カナダ人の名前を刻むことを目指している。しかし、収容に関する記録が失われ、いまだに名前を特定できていない人もいるため、現在刻まれているのは、確認できた約6,000人の名前にとどまっている。 そのため記念碑には今後、約2,000人分の名前を追加できるスペースが設けられている。
Japanese Canadian Hastings Park Interpretive Centre Society(日系カナダ人ヘイスティングスパーク情報センター協会)の会長、ダニエル・T・トカワさんは、記念碑完成後、家族の名前を見つけ、刻まれた名前に実際に手を触れながら涙を流す日系カナダ人の姿を目にしてきたという。
トカワさんは、名前に触れることは、
「時間を超えて、愛する人にもう一度触れ、語りかけるような感覚なのだと思います」
と話す。記念碑に刻まれた一人ひとりの名前は、そこに生きたひとりひとりの記憶を呼び起こすものでもあるからだ。「感傷的になりますね」とも。
女性や子ども、高齢者、そして病気の人々も収容されたヘイスティングス・パーク
ヘイスティングス・パークには、主に女性や子ども、高齢者、病気を抱えた人々が収容されていたという。
トカワさんは、「衛生環境の整っていない家畜舎には何列ものベッドが並べられ、スーツケース1つ分の荷物だけ持つことを許された母親たちが、子どもたちを守ろうと暮らしていました」と、記念碑の背後にある、現在も使用されている家畜舎とその隣の建物を見上げる。
「収容の実態に関する記録や資料の多くは戦後に破棄されてしまったので、体験者の証言に頼るしかありません。歴史を正しく受けついでゆくためにも、当時を知る人たちの証言を残すことは、辛いですが大切な作業です」
収容の実態だけでなく、収容者の氏名や人数なども未だに体験者を通じて集めて続けているのが現状だ。「これまでの調査で、収容者にはかなりの数の妊婦もいたとされていますが、出産に関する記録は残されておらず、どれほどの医療ケアがあったのかも不明です」 実際、2週間前にも、この建物で生まれたと証言する人が新たに2人確認されたばかりだという。

PNEの記念碑完成式に参加した(左から)Mike Klassenさん、 Shelley Frostさん、スザンヌ・タバタさん、ダニエル・T・トカワさん、Karen Massicotteさん Photo:Osanpo News Canada!
強制収容の歴史を超えて取り戻す、地域社会とのつながり
Japanese Canadian Legacies Society(日系カナダ人歴史遺産協会)のCEO、スザンヌ・タバタさんは、日系カナダ人の歴史を第二次世界大戦中の強制収容だけで語るべきではないと話す。
日系カナダ人は1870年代からブリティッシュ・コロンビア州に暮らし始め、1942年までには約2万2,000人が漁業、造船、農業、商業、教育など、さまざまな分野で地域社会の発展に貢献していた。しかし、戦時中の政府の政策により、多くの人々が故郷を追われ、収容されたうえ、財産を失い、カナダ各地へ離散することを余儀なくされた。
タバタさんは今回の展示について、「1942年にヘイスティングス・パークで拘束された約8,000人を記憶する取り組みであると同時に、日系カナダ人が強制収容以前から築いてきた社会への貢献や地域とのつながりを取り戻していく、より大きな活動の一部です」とその意義を説明する
記念碑は、「屋外に設置されたことで誰でも訪れやすく、一人ひとりの名前を刻むことで、犠牲となった人々を個人として記憶することができます。訪問者には、この記念碑が何を意味するのか、そして数多く刻まれた名前が何を伝えているのかを考えてもらえれば」と呼びかけている。そして若い世代には、「過去に何が起きたのかを知ったうえで、どのような社会をつくりたいのかを考えるきっかけにしてほしい」と期待する。
屋内の情報センターの整備も進行中
今回完成した記念碑は、ヘイスティングス・パークで日系カナダ人の歴史を伝える取り組みの第1段階となる。今後は第2段階として、屋内の情報センターを整備する計画も進められている。
屋外記念碑と屋内の情報センターを組み合わせることで、日系カナダ人がヘイスティングス・パークで拘束された経緯や、当時の人々が置かれていた状況、家族の生活などについて、より詳しく学べる場所を目指している。
また、記念碑の整備費用は、2022年にBC州政府が発表した歴史的な補償(redress)パッケージから拠出された。同パッケージは、第二次世界大戦中の日系カナダ人への処遇に対する州の公式謝罪の一環として発表されたもので、抑留経験者向けの健康・福祉プログラムの拡充、文化遺産施設の保存・修復、学校教育カリキュラムの改訂などを含んでいる。あわせて、戦時中の制作によって影響を受けた約25,000人の日系カナダ人を追悼するモニュメントがビクトリアで建設中で、10月の一般公開が予定されている。


(左)自身の名前を指さす、収容時は8歳だったというヘンリー・ワカバヤシさん(右)家畜舎には日系カナダ人収容の歴史を伝える情報センターが仮設されている。Photo:Osanpo News Canada!
次の世代のためにも、歴史から学び伝え続けることが必要
PNEに訪れる人々で賑わうヘイスティングス・パークは、日系カナダ人が経験した強制収容や財産の喪失、そして一方で彼らがブリティッシュ・コロンビア州に築いてきた長い歴史を伝える場所として、新たな役割を担おうとしている。
そこに刻まれた一つひとつの名前は、80年以上前にこの場所で暮らし、家族を守り、故郷を追われたひとりひとりの存在を今に伝えている。
過去の過ちを繰り返さないために、何が起きたのかを知り次の世代へ伝えていく。そのための場所として、記念碑は重要な意味を持っている。
「我々日系人の歴史の記録を残すための記念碑ではあるのですが、この悲しい歴史と過ちから学べることに人種に関わりはないと思います。次の世代のすべての人たちのためにも、伝えることの大切さと責任を感じています」(トカワさん)



